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『人々の「美」と「健康」を応援したい。壺造り製法を受け継ぐ黒酢発祥の地を訪ねて─』

坂元醸造部長の写真

坂元醸造株式会社 取締役総務部長 中馬雅信

インタビュー:2015年3月19日

鹿児島のシンボル・桜島が背景に広がる「壺畑」。眼下には錦江湾が広がり、海と空と桜島の青が突き抜けるほどに爽快な霧島市福山町。壺造りを守り続け、“黒酢”を生み出した壺畑の主は坂元醸造。江戸後期から変わらない壺造り製法と廃業する業者が多い中、操業一社となっても絶やさなかった“黒酢”の歴史、出汁と共にある優しい引き立て役としての存在感を知るために福山を訪ねた。

江戸時代後期から同じ製法を守り続ける福山町の「黒酢」

ー本日はよろしくお願いします。
早速ですが、御社の歴史と共に黒酢の歴史を教えて下さい。

まずは黒酢の歴史ですが、元々“黒酢”というものがあったわけではなく、江戸時代の後期、およそ1800年頃にこの福山の地で酢造りが始まったそうです。壺を使って酢造りが始まったわけですが、ここ福山町で始まった理由に3つの大きな条件があります。
一つは年間の平均気温が18.7℃という温暖な気候であること。そして原料の一つである地下水が、良質で豊富にあるということ。この地下水は薩摩藩の時代は島津のお殿様に献上されていたほどの美味しい水で、地元では「廻り(めぐり)の水」と呼ばれています。
もう一つは、福山はかつて大きい港で栄えた町です。今の鹿児島市と福山町の間を大きな帆掛舟で様々な物資を運んでいたんです。例えば、大隅や都城でとれたお米もここ福山が集積地となって鹿児島に向けて運んでいましたし、鹿児島でとれたものをここで下したりしていました。その中に薩摩焼の壺も福山に集められていたわけです。これらの条件が重なり、福山で酢造りが始まったということです。
簡単な歴史としましては、江戸時代から酢造りが続くわけですが、戦前は家内工業的な小規模で、自分の家の裏庭で造るような酢造りが主流でした。そういう醸造所が戦前は24軒ほどあったそうです。ところが戦争が始まると、まず原料のお米がなくなりました。戦後になり、手間のかかる醸造酢ではなく、安い合成酢がどんどん出回り、次々と酢造りをされていた方々は廃業され、残ったのが坂元醸造でした。一社しか残りませんでしたが、その頃に現会長の先代の坂元海蔵が原料をサツマイモに変えたりして、壺で造る酢造りの技術を今に残しました。
戦後、物資も原料も手に入るようになってから、廃業されたところが酢造りに復帰されたり、新規参入で始められるところもあり、現在は福山町で9社の事業者さんが酢造りを行い、今では酢の町といえば霧島市福山町となります。

坂元醸造の壺畑の写真

坂元醸造の壺畑

ー壺を使った製法は全国的に見ても福山町だけでしょうか。

福山町だけですね。

ー海外の中国などでは同じ製法がありますか?

ないですね。

ー世界で福山町だけですか?

その点に関しては、ルーツを探ろうということで、研究者や大学の先生と一緒に中国に行ったこともありますが、中国の酢造り自体が製法も原料も違う全く別物で、やはりこの地独自の製法だろうということになっています。

ー中国のものを含め“黒酢”を謳う商品がいくつもありますが、
製法の違いがあるんでしょうか。

はい。まったく造り方が違います。中国の酢を、「中国の黒酢」と呼ぶ方もいますが、厳密には黒酢ではなくて、色が黒いために日本では黒酢と思ってらっしゃる方が多いです。あくまでも中国の酢は“香酢”として販売されていて原料も餅米です。
大きく違うのが、日本で造られている酢は液体発酵といって、液体に微生物が働いて酢が出来るというものなんですが、中国の場合は固体発酵といって、籾殻(もみがら)を使ったりして、液体の表面上で発酵させるのではなく固体で発酵させる独特な製法です。加えて、できた酢に塩や砂糖を入れて煮詰めたりもしますので、あれだけ色が黒く味の濃いものができあがります。
日本では酢は酢ですが、中国の香酢はどちらかというと、醤油のような感覚で使われることが多く、朝はお粥にかけて食べたりという使われ方をしていて、日本でいういわゆる酢・黒酢とは全く別の“中国の調味料”と捉えていただければ良いかと思います。

ー色の薄い、いわゆる普通の酢と“黒酢”の原料や製法には
どのような違いがありますか?

元々は、福山の酢造りは先ほどのような歴史がありまして、現会長の坂元昭夫が、この製法で造った酢は年が経つごとにだんだんと琥珀色が濃くなっていくので、「これは何とか名前を付けないといけない」ということで、昭和50年に“黒酢”と名前を付けました。それ以降、“黒酢”という品名で販売していましたが、だんだんと“黒酢”という品名が広がって、日本全国の他の酢メーカーさんが“黒酢”という品名で商品を作っていったわけです。 商標登録をしていなかった関係で“黒酢”という商標は取れませんでしたが、坂元昭夫が“黒酢”の名付け親なんです。
“黒酢”の基準は当然ありますが、製法の違いによりタンクで造る黒酢が圧倒的に多いわけです。しかし、壺で造る“黒酢”はここ福山町だけでしか出来ない独特な製法で造られるものです。 屋内でタンクを使って造る酢は温度をコントロールできます。発酵に適した温度で、適切な時期に微生物を加えて発酵させるわけです。一方弊社は一切温度をコントロールせずに、太陽エネルギーだけで発酵させ、微生物も壺や麹蔵に住みついており、自然に働いてくれるという違いがあります。タンク製造は温度コントロールすることで微生物に良い条件で発酵できるので早く造ることができます。
壺造りの黒酢はゆっくりと時間をかけて造るという違いがあります。

坂元醸造の壺畑の写真

職人により毎日行われる品質チェック

長い年月をかけて培われたノウハウを活かし、酢ブームをけん引

ー様々な原料や味がありますが、効能などの差はあるものでしょうか。

一般の酢とはまったく違いますね。坂元醸造は独自に40年ほど前から、公的研究機関や大学と共同研究を進めています。大きく二つの研究テーマがあります。一つは「体にどう効くか?」という黒酢の機能性、もう一つは、壺に原料を入れて発酵させる時に、「どのような時期にどのような微生物がどう働いていくか?」という発酵のメカニズムについてです。機能性については、血流を良くする働きであったり、血糖値を下げる働き、コレステロールを下げる働き、肝機能改善などが報告されています。
法律の関係で、商品と一緒にアピールは出来ませんが、論文という形で発表をしています。黒酢研究会という取り組みも去年から始まり、黒酢の機能性の発表を他のメーカーさんと共にアカデミックに実施していますね。

ー壺の中の微生物で発酵させるということですが、
壺自体の耐用年数はどれくらいの期間ですか?

壺は割れない限り半永久的に使いますね。使い込めば使い込むだけ良い壺といいますか、手間のかからない壺になっていくんです。今5万2000本の壺があります。
その中で約2000本が江戸時代から使っている薩摩焼の壺です。当然、企業として増産していくためには壺を増やしていかないといけないわけですね。一時期は現会長も壺を増やさないといけないということで、薩摩焼の窯元にお願いに行ったみたいですが、作れないということで、台湾の壺を取り寄せて使いました。また、韓国の壺も取り寄せて使っていましたが、現在は滋賀県の信楽焼の窯元にお願いして、薩摩焼の壺をモデルに、形や通気性、焼きの温度などを調整して焼いていただいています。
新しく仕入れた壺は微生物も住み着いていないので、熟成中の黒酢を入れて微生物を住み着かせてから発酵に使います。二〜三年経ってから発酵に使える壺になっていくということですね。

ー江戸時代の薩摩焼の壺と新しい壺では違いがあるものなんですか?

職人に言わせると、手間がかからないと。古い壺に仕込むと、放っておいてもスムーズに発酵・熟成していきますが、新しい壺だと発酵が遅れたりすることもあると聞きます。

ー仕上がりの差はありますか?

一定の品質にならないと収穫はしませんので、差はありません。黒酢職人は毎日壺のフタを開け、一定の品質になる様に管理作業を続けます。

ーすごいですね。

そういう江戸時代のままの製法で今でも酢を造っていますよ。

ー江戸時代もずっと壺を使っていたんでしょうか?

そうです。江戸時代後期からですね。

ー基本的に原料はお米なんですよね?

はい、お米です。お米100%ですね。酢はいろんなものから造られます。果物のリンゴやブドウとかですね。お米以外の穀物からも酢は造られますが、この製法はお米です。お米100%。

ー県内外での販売割合はどちらが多いですか?

全国的にお取り扱いいただいているので、極端に差はありません。
元々、現会長の坂元昭夫は薬剤師で薬局を始めました。なんとなく「体にいいだろう」と、自分の薬局に黒酢を置いて売ってみたそうです。お客さんから「肩こりがなくなった」などの声があったので研究を始めたところ、効能がだんだんと分かってきたそうです。それで薬局ルートで販売したのが最初です。当時薬局に酢を置いているところもなかったでしょうし、「黒酢の良さをお客さんに知ってもらいながら販売しないと」、ということで、薬局展開で販売を続けてきました。

坂元醸造のくろずドリンクの写真

坂元のくろずハニードリンク

ーでも当然薬ではないわけですよね、
いわゆる健康食品の走りとも言えるのでしょうか?

そうかもしれないですね。

ーその広がりに対して製造は追いついていたんでしょうか?

追いつかない時期もありました。この製法ですと簡単には増産できません。土地を確保して、壺を仕入れて、壺を発酵できるような状態にするのに何年もかかるわけですから。今5万2000本の壺がありますが、毎年徐々に増やしてきた結果、今の安定供給できる壺の数になったかなと思います。
今後も増やしていかないといけないですが、一時期の酢ブームの頃は安定供給という面ではお客様に大変ご迷惑をおかけした時期もありました。

坂元醸造の直売店の写真

「壺畑」併設の直売店

坂元のくろずが買える「南国食材商店」はコチラ

コクとまろやかさが特徴的な坂元のくろず
日常の食卓で出汁とも積極的に組み合わせて欲しい

ー次になりますが、出汁プロジェクトはどういった面で期待されていますか?

鹿児島には鰹節をはじめ、旨味のある素材がたくさんあるわけですよね。そういう出汁関連商品と、坂元のくろずをできるだけうまく融合させて、美味しくて健康に良い商品の開発ができれば理想かなと思ってはいます。

ー出汁と酢の相性はどう思われますか?

一つは、坂元のくろずは一般の酢と違って非常にまろやかですし、塩分を引き立たせるというか、たくさんの塩を使わくて済むということが、出汁にも役立つと思います。
例えば塩分を気にしてらっしゃる方達も満足できる味付けができるんじゃないかと勝手に思っています。

ー引き立たせるという部分は大きいですよね。ただイメージとしては料理よりは健康食品としてのイメージが強い気もします。逆に和食という世界の中でうまく使えるとおもしろいですよね。

「あまんおっけ」という汁物が福山にはあります。イワシを入れ、味噌の代わりに酢を使います。出汁に黒酢を加えて吸い物にするのですが、酢が魚の臭みも取ってくれ、旨味もでてくる郷土料理にです。出汁と合わせて料理に使うことも、酢が豊富な福山では酢をうまく活用してきた歴史の一つですね。「あまん」が酢という意味で、「おっけ」は汁物を表す鹿児島弁ですね、味噌おっけとか。
今の弊社の商品は壺造りの黒酢で「飲んで健康になりましょう」という商品が多いですが、より手軽に身近に使っていただけるような商品開発をしていかないといけないですし、その中で、出汁もうまく絡めていければありがたいですね。

ー最後に今後の展望をお聞かせ下さい。

「人類の美と健康に奉仕します」という社是のもとに、坂元のくろずの良さをより広めていけるように、また日常の食卓で取り入れて頂けるような商品をどんどん発信していきたいと思っています。

ーイタリアのバルサミコ酢みたいに全世界に広がっていくといいですね。
本日はありがとうございました。

坂元醸造株式会社の企業サイトはコチラ

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インタビュー後記:
食卓での主役になることは少ない酢だが、坂元のくろずが守り繋いだ伝統と歴史は、壺と同様の重厚感を時間の経過と共に増し続けてきたのだろうと思う。 福山の地に育まれる壺畑はより存在感を増し、“黒酢”が出汁との共演を重ねた時、主役級の存在となるのが待ち遠しい。

インタビュアー 井上秀幸

ライター 西田将之

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